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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
20年の歩み 初心に還る
昨日、新潟より帰宅したら白石先生の著書「夢をこなえるコツ」が届いていた。



今朝、読み解いていくうち(まだ途中だけど)に、2000年シドニーパラリンピックで銅メダルを獲得したときのことを思い出した。


1998年、白石先生が地元のローカル番組「サタデーふくしま」に出演し、アトランタオリンピック女子バスケットボールのメンタルトレーニングの実践を見たことがきっかけで、女子車椅子バスケットボールがシドニーでメダルを獲得するためには、これだ!と思い、白石先生に電話をし、研究所を訪ねた「弟子にしてください事案」を発生させたのである。。

当時を振り返ると、なんと無謀で破天荒、そして図々しいというか赤面の思いである^^;


それだけ、必死だったのだけどね。


1999年の舞洲合宿に白石先生、萩原美樹子さん、三河きっこさんなど蒼々たるメンバーが来てくださり、私たちのメダル獲得を支援していただいた。


いま思い返してもなんと贅沢な時間であったろう。


いつか、このことを活字に残したいと思いつつ、仕事、バスケ、日常の慌ただしさに呑まれてしまい、歴史を残すことなくいままで来てしまった。


いつか記そうと思う。


今日は、3連休の中日、昨日は新潟遠征だった。


クラブチームはよい出来であったが、自分はお世辞にも良い出来とは言えない結果だった。


こんなことでは世界は獲れない。もっともっと強くならなければ。


そう思いクローゼットの中から1993年車椅子バスケットボールをはじめたころからのファイル(ノート)を引っ張りだした。




不思議なことに、なぜか1998年から2000年の軌跡を綴ったファイルだけが見当たらない。


シドニーノート。



みんな覚えてる?あの原案って実は私が作ったのよ。


そして、思い返せば



車椅子バスケットボールをはじめて20年。ということに今日気がついた。


健常時代からトータルすると、途中ブランクがあったもののバスケットボールを続けて30年が経過、、こわい。。



車椅子バスケットボールをはじめて1年でジャパンのユニフォームを着せられ(当時は下手だったたし、なにがなんだかわからない状況でしたf(^^;))、アトランタパラリンピックで世界を知り、メダルをとれることを確信した。




20年。いろいろあったと振り返る。



そして、私たちはいまロンドンの切符を逃し、世界ランキング外という至上最大の難局にいる。



過去、以前のジャパンでやってきたことが間違っているとは思わない。



しかし、いまこの現状を打破するためには、現ジャパンでは過去の善き内容を残しつつも、新たなチャレンジ、いままでの常識を覆す、そして相当の覚悟を決めなければならない。


いや、覚悟を決めたが、まだ覚悟の覚悟が足りない。


この年齢になると、若い選手とは違って、覚悟をする覚悟が必要だ。


いつまで夢を追いかけているんだと言われるかもしれない。


でも、私は周囲から言われるほど肉体の年齢を感じたことがない。


それは、努力という言葉だけでは表現できないことを実践してきているからだ。


引っ張りだしたノートにその証拠がそろっている。

ただ、震災後、練習環境が激変した。肉体は錆つき、気持ちも若干荒んだ。



しかし、心の奥底に燻っている、燃え尽きてない感情がいつも私を刺激する。




「まだやれる」



「このまま終わっていいのか?」と



最低限の責任として、次回、パラリンピックの切符を手にしなければならない



そして、みんなで掲げた目標、日本の車椅子バスケットボールの夢を実現するために、このままで終わることができない。


銅メダル以上の結果を残すには、北京の頃以上の練習を積むには、あの頃のようにただただ走り練習をするだけでは到底かなわない。


走ることは当たり前であって、こっから先の積み上げを車椅子バスケットボールに必要な要素のあらゆる精度、個のレベルをさらに高いものにしなければいけないということを痛感したここ数年


世界の激動がわかっていたのに



世界に追い付き、追い越され、いままた追い越す番



目標を達成するために、もう一度、いや何度でも現在、過去、未来、そして心を整理する必要がある。



それが、「いま、今日」だと感じた。


幸いにも?今日は大雨。


部屋に引きこもって作業をしよう。


そして、その思いをここに記し、公にして有言実行しよう。



師匠にいただいた言葉を読み返し、自分らしく進もう。


そして、いつか必ず満足のいく結果を、支えていただいている多くのみなさんに報告できるように「いい準備」をしよう。

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Meg3
性別:
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職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り競技の道へ。

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010年ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011年ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015年リオパラAOZ予選(3位)
2015年現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール
趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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