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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
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感謝しかありません
アジア・オセアニア予選が終了し、1週間が経過しました。


大会を開催していただきました連盟はじめ多くの方々には、感謝とお詫びの気持ちでいっぱいな1週間を過ごしました。



しかし、大会が終了しても、朝はやってくるし、お腹も空いて、仕事もいつもどおりの忙しい日々が戻ってきています。



女子選手は、この4年間、ある選手は仕事を辞め、ある選手は海外のリーグへ挑戦し、ある選手は転職または練習時間を確保するために正規雇用から嘱託へ、ある選手は20年住んだ練習拠点を移し、出産を終え2カ月で復帰した選手もいます。ここにいた12人以外にも同じように生活のすべてをかけた仲間と共に戦いました。
スタッフもまた急遽このチームを任され職を替え、夜も寝ずに選手がベストパフォーマンスを発揮できるように2年半がんばってくださいました。



自国開催、しかもいままで経験したことのない重大な内容の大会を開催していただき、戦略・練習内容どれをとっても素晴らしいヘッドコーチ、選手経験のある人格者の大先輩がアシスタントコーチ、国内外経験豊富な百戦錬磨のチームリーダー、トレーナーも2人体制、戦略・分析の専門家、心理担当、栄養サポート、そして何よりもこうしたことを裏でとりまとめ選手を支えてくれたマネージャー、数々の海外遠征と頻繁な合宿、それを特別休暇で休ませていただいた職場の理解、同チームの協力、合宿で協力をしてくださった各ブロック・選手のみなさん、バディとマーレの面倒をみていただき、ここには書ききれないほどの多くの多くの支援を受け、選手も最大に努力した4年間でした。



でも、結果は出せませんでした。個人や組織の努力だけではもはや国レベルの強化策がないと世界のスピードに追い付くには困難なのか?
個人でもっとなにができたのか。と自問自答しながらの1週間でした。


開けなかったリオへと続く道の扉。



大阪カップで国際大会を何年も経験させていただいたおかげで自国開催のプレッシャーも大きくなく大会に挑むことができました。



多くの方の期待を受け、必至に続けてきました。吐きながら、涙を流しながら練習し、練習が楽しいことは正直ありませんでした。苦しい、もう手を抜こうかな。いや、だめだ。負けてたまるか。そんな思いできました。
2011年、辛かったあの日々。韓国でのロンドン予選敗退。辞めるべきか、続けるべきか迷ったあの日から4年。


ミニバスから始め、19歳で車椅子になり、1993年に郡山で三村先生と運命の出会いをしたあの日から、1994年から代表のユニフォームをいただき、途中ケガで苦しんでいるなか、岩佐さんの一言で2006年に代表へ復帰し、今日まで継続してきたここまでの道のりを振り返っていました。



日本代表として20年間、日の丸を胸につけさせていただき、ここでは書ききれない素晴らしい経験をさせていただきました。



「感謝」この言葉以外いまは思いつきません。



すでに、地元メディアでは報道されていますが、今季限りで代表選手の任を降り、今後は女子選手の後方支援に廻りたいと思います。


これは、予選で負けたからではなく、リオへの道が決まっていても、代表を退く考えでいました。


多くの方に、そして車椅子バスケットボールに私は救われました。有難うございました。


これから5年後、女子車椅子バスケットボールは自国開催のオリンピック・パラリンピックを経験します。


自国開催の重みにおしつぶされない、自国開催だからこそ力を発揮できる選手が育つように、いやきっと育ち、一番高いところに国旗が上がり、スカパーを見ながら君が代を一緒に唱って泣きたいと思います。


夢は、一人で見ることはできますが、叶えるのは一人ではできない。
私たちはなぜ勝ちたいのか。なぜ世界一になりたいのか。
それが、なぜ、車椅子バスケットボール競技なのか。
代表であったこの20年、その答えは・・・
もし、この自問に正解があるのなら、それは求めるものではなく、それぞれの胸に秘めるものが正解であっていいと思う。


夢はこれからの選手に託します。夢はまだまだ続きます。


みなさま、これからも日本の車椅子バスケットボール、障がい者スポーツのご支援をどうぞよろしくお願いします。



本来であればすぐにお礼を述べなければならないところでしたが、予選が終わり、気が緩みまして、3年ぶりに風邪をひいてしまいました。。。気持ちの整理もあり今になってしまいました。



いままで一緒にコートに立ったメンバー、そして同じ夢に、目標にむかい共に歩んだ選手のみんな
有難うございました!




引き続き ブログは更新します。

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HN:
Meg3
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り、いまだ現役で選手やっております(*^^)v

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学。
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(現長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010 ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011 ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015 リオパラAOZ予選(3位)
2015 現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール

趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

研究:

著書:

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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松本紀生著書
アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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