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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
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大分国際車いすマラソン大会 30th
大分国際車いすマラソン大会へ行ってまいりました。

初めて^^

車いすマラソンは1度だけ、15年くらい前に仙台で行われていた車椅子マラソンのハーフに出場し、1時間8分58秒(すっごく覚えてるのはつらかったから)で優勝したことがあります。

あれが生涯最初で最後の車椅子マラソン

当時、車椅子バスケとマラソンをしている人は珍しくなく、福島県車椅子バスケットボールクラブのキャプテン松浦さん(北京パラ陸上メダリスト八巻さんのコーチ)に車椅子バスケのほかにマラソンの走り方も教えてもらっていました。
あと、いまは亡き村上さんにも車椅子マラソンの走り方を教わりました。村上さんは私のチェストパスの先生でした。毎回練習にいくとアップだと言って300回のパス練習からスタートしていましたw

新人当初は、毎日駐車場のコンクリ壁で1000本の壁打ちチェストしていたので300本は苦じゃなかったけど、村上さんのパスは恐ろしく回転しホップする魔球でした笑゛

当時2人が車椅子マラソンをしていたせいか、バスケでも速かったので車椅子マラソンをすれば速くなれると単純に思ったのがやるきっかけだったんですが^^;

それと車椅子バスケのために持久力をつけるために走っていたのですが、練習をしていくうちに速くなってきたので大会に出てみれば?と言われて調子にのって出場しました。

でも、練習をやってもいつもハーフまで走りきれずに、走るだけの作業が飽きてしまって20キロ走ったことがなかったんです。なので、本番では負けず嫌いの気持ちだけで走りました。

しかし、走っている最中も鼻水は出てくるし、目の前がチカチカなんか降ってくるし、走り切った後も吐きそうだし、顔はもう蒼白・・・

しかも翌日は首や背筋が腫れて熱を出し1週間寝込んだため、もう二度と車椅子マラソンはやらないことに心に決めて以来やってません^^;

でも、車椅子マラソンを見るのは好きなんです。語らせたら詳しいですよ(^.^)

私の車椅子マラソンのヒーロー(洋読み)は、このギョーカイの人なら誰もが知っている「ハインツ・フライ」、英雄(和読み)は「山本行文団長」、尊敬する人は「辰巳晃一さん(ワールドBBCね^^)」でした。

そのなかでも辰巳さんは、ちょっと他の選手と違う空気を持っていて、この人はいずれハインツを破り、大分初の日本人チャンピオンになるに違いないと思っていました。(いまでも復活したらそうなると思ってるけど)

辰巳さんに関しては、車椅子バスケのプレイも憧れていたので、最近は観ることが少ないのでちょっと寂しいですが、そのプレイはいまでもしっかり脳裏に焼き付いてますよ。

さて、話は戻りまして、大分国際車いすマラソンになぜ行ったかとい言いますと、
クラシファイヤーで行ったわけです。


クラシファイヤーとは、選手の障害レベルを確認し、適切且つ公正な競技ができるように障害のクラスを分ける人なんですね。

東北には一人もいなかったんですが、このたび8月の講習会を受講しまして、私を含めた4人の日本身体障害者陸上競技連盟クラシファイヤーが東北に誕生しました。

どうしてその資格を取ったかは今日はは置いておくとして、今回、初めての仕事が大分国際車いすマラソン大会!
しかも!第30回記念大会!
しかも!福島県の選手は今回に限って誰も出ない・・・淋しい・・・
いや、しかし!来年はみんなで行く!そうとも!


でも行ってよかった。大会の運営もすごかった。機動力、統率の取れた各部署の動き。

毎年、国体運営をやってるような感じで大変なのに、不都合があっても誰も文句を言わず、応用を効かしててきぱきしてるし、障害者スポーツ指導員の参加人数がなんと170人!

ん~すごい。。

マラソンを応援する沿道の人・人・人

どこの店、タクシーの運転手、通りすがりの人、県民みんなが「今年の優勝は・・・」とか「ハインツが・・・」と車椅子マラソンの話題を振ってくる。
町ゆく人に「がんばって」と声をかけられるし(すみんせん選手じゃなくて)

ほんとうに30年開催の重みを感じたし、日本の障害者スポーツ発祥の地大分の誇りを感じました。


↓大会のようすは、下記から(財)福島県障がい者スポーツ協会HPの活動ブログにてもご覧いただけます。動画もありますよ^^
『大会のようす』←ココをクリックしてください

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HN:
Meg3
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り、いまだ現役で選手やっております(*^^)v

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学。
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(現長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010 ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011 ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015 リオパラAOZ予選(3位)
2015 現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール

趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

研究:

著書:

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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松本紀生著書
アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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