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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
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警戒区域内での保護活動 その2
動物保護団体DJさんと警戒区域内での保護活動を共にして昨日で4回目


いままではずっとDJの後について歩いていましたが、昨日は二手に分かれて捜索しました。



かこまない、追いかけまわさない、一度にしつこくしない。



何度も通って信頼関係を築きながら保護するのがこの団体の特徴で、感心することばかりです。


みなさん純粋に犬が好きで、動物が好きな人ばかり



しかも根性も気骨もあり、筋もとおっています。



たぶん、ここでなんかあっても保護のためなら死んでも文句言わないんじゃないかな。



これで死ぬなら本望と感じます。



でも、こうした方たちになんかあっては困るので、しっかり後方支援をしたいと思っています。



とは言っても役立っているのかはわかりませんが。。



いや、探す目が2つ増える!と言い聞かせがんばっています。



いろんな団体が入って餌をあげているせいか、昨日は犬を見かけることが多く、私たちは4頭の犬と遭遇しました。もう一方は3頭の子犬と遭遇し、昨日だけで計7頭と遭遇しました。



大熊町は第一原発に一番近い町



あの日、いち早く避難しなければならなかった町です。



泣く泣く置き去りにしなければならなかったペットがたくさんいます。


昨日はそんななかの1頭、柴犬で後ろ足は栄養失調状態で伸びきっている子と会いました。



寄ってきそうなのに、防護服を来たのを見て逃げてしまいました。



保護したいけれど、代表たちが近づくと逃げてしまい見失いました。



置き餌をしてもカラスが食べてしまいます。。



一旦、その場を離れ、ちょっと過ぎてから逃げたほうにようすを見に行きました。



会社の駐車場、民家を遠巻きに見て



ひととおり見ると



道路を挟んだ森の陰に、農家らしき建物がありました。



なにかを感じ、団体の代表と命のリレー隊に応募したMさんが向かいました。



後を追っていくと、そこには牛舎がありました。



そのなかに



折り重なるように餓死した無数の牛の死骸



白骨化した牛



耳に鑑札がついている 皮だけの牛



なんかわからんくなった黒い物体になっただけの牛



9か月経過しても強烈な死臭を放っていました 



感情を出しては見られない光景です



無表情で感情を殺さなければ正視できない、そんな現実が広がっていました



牛は食肉として出荷されるため、いずれは殺される運命にあるとしても、餓死か。。。命あるものが生きるものが餓死か。。。



南相馬市での吉沢牧場の御主人は、餓死させたくなくて頑張って飼育しています。




でも、もうすぐそれもできなくなるので、この牛たちのようにいずれ死ぬでしょう。



この吉沢牧場の近くに、柵が空いているけど動かない牛がいます。
うつろな目で死を待つだけの牛



近寄っても見向きもしない




骨盤も骨と皮だけ




立つこともできない



もう目も見えていないのかもしれない



近くには白骨化した牛が水路に挟まって死んでいて



動物たちの骸はいろんなことを想像させる



水を求めて 首をのばしたら、水路に落ちて 動けなくなった。。。



せめて口蹄疫のときみたいに安楽死のほうがまだいいのか。。。とか



でも、今回の安楽死の方法がちっとも安楽じゃないらしいし、、、、


そもそも安楽な死に方ってあんのかもわからん



いろいろ考えていたら、帰り道のジャンクションを通過してしまいました。



私は四足動物はよっぽどでない限り口にしません



だから食事に出ると超つらい。。食されるために殺されたのに、あましたら捨てるだけでしょ。。


だからMえちゃんの側からは離れられない。


おいしく食べてもらえるなら、牛も天寿を全うするってことでしょ。



相双はあの日のまま



まあ、もちろんいろんな人が入ると泥棒も入るし、問題もあるわけですが、、



現状を多くの人が知るべきだなと感じたのも事実


そうなると警らする人も増員しなくてはならないし


大熊はじめ区域内の警ら中の警官は、みな若いです。



6時間以上、通常勤務の8時間 警戒区域内で警らしています。



役場の除染もはじまり、職員や業者が枯葉撤去や自衛隊が庁舎の洗浄を行っています。


ただちに人体に影響がないとは言え、若い人が多いのに驚きでした・


Jビレッジでは多くの若者がスクリーニングを受けて帰ります。
わたしたちも受けて帰りますが、ここでも防護服を脱ぐと、若い作業員の顔がでてきます。



私も手サベしてもらっても線量計を見てもあまり針は動きません。



そうか、原発事故って収束したんだったね。



それで放射線も低いのかと思っていますがね



最終日までに要請のあったペットのゆきちゃんとペーターを保護できたらいいな。




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プロフ
HN:
Meg3
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り、いまだ現役で選手やっております(*^^)v

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学。
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(現長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010 ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011 ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015 リオパラAOZ予選(3位)
2015 現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール

趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

研究:

著書:

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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