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師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。あるがままに生きる。この言葉を胸に人生精進します。
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仮設住宅のみなさんありがとうございました!
うちの兄貴が、一昨日から福島市松川地区の立ち往生に巻き込まれて、今日、昼に自宅に戻ってきました。


食べ物もなく、どうしようもない状況で、途方にくれていたら

松川の仮設住宅のじいちゃん、ばあちゃんが炊き出しをしてくださり、おにぎりを差し入れてくれたそうです。

兄貴は、おっちょこちょいなのでその日は弁当も財布も忘れて行きまして、糖尿病なので低血糖にならないか息子ら心配していましたが、その炊き出しが本当に助かったと言っていました。

震災のときに世話になったから、こういうときにお返ししたいと言ってたそうです。


足元もおぼつかない状況でおにぎりをたくさん運んできて、立ち往生していた兄貴含め、みんなでおにぎりを配りいただいたそうです。

松川の仮設住宅のみなさんありがとうございました!
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ホルスト・ストローケンデル氏の講習会
週末はなんと意義深い講習会を受けたことか


最近は、障がい者スポーツに対する云々について学ぶ意欲が薄れかけ、頭打ちでございましたが、久しぶりに眠っていた学習&労働意欲がムクムクと頭をもたげてきましたよ。


以下、主催者であるISE(茨城シッティングスポーツ研究会の案内文より引用)

ドイツでは、障害のある方が地域で「運動をしたい」と思ったときに非常に多くの選択肢があります。特に車いすスポーツ分野では、参加者の障害程度が比較的重度であるにも関わらず、最も多くの選択肢を提供しており、障害者スポーツ先進国と言われるドイツにおいて、最も障害者の運動導入に成功しています。今回、講師として迎えるHorst Strohkendl(ホルスト・ストローケンデル)博士は40年間、車いすを使用する障害児・者の運動導入のシステムづくりをしてきた第一人者です。

実技①車いす基本操作技術の習得
初心者に対する「導入指導時」には、必要な技術の習得を、失敗体験をしないように、できる限りスモールステップに細分化して指導を行うことが重要です。第一部では、成功体験を導く指導方法の実践として、方法論的な指導法による車いすの操作技術習得を体験します。車いす操作に不慣れな方は実技習得を行い、また車いす操作を既に習得されている方は、正しい操作技術や、それらの指導論を学びます。

ミニゲーム①
鬼ごっこ、縄跳びなど、能力に差異のある集団でも実施が可能なゲームを体験します。ゲームをアレンジすることで、重度障害者や初心者のように車いすの移動速度が遅い人でも、集団の中で役割を持って参加することができます。第二部ではこういったゲームを体験していきます。

ミニゲーム②
先ほどのゲームの発展形としてボールを使用したゲームを実施、体験します。

午後は地域在住の障がい児・者の方を対象とした体験会を見学し、プログラムの実践について学びます。
また、そのあとの講義では、なぜ、導入指導において、こういった繊細なアプローチが必要となるのかを、導入時の初心者の心理状態等も含めて解説します。また、ドイツにおける取組みや、その他の指導の実践例についても触れていただきます。


Dr.Horst Strohkendl  ホルスト・ストローケンデル博士(71歳)
前職:ケルン大学障害者福祉学准教授
現:ドイツ車いすスポーツ協会指導員育成責任者  ドイツ車いすラグビー協会副会長

1971 ドイツ障害者スポーツ協会より「麻痺者スポーツ委員会」へ招へいを受ける
    男女車いすバスケットボールナショナルチームコーチに就任
1976-1978 国際車いすバスケットボール協会理事会に参加
1977-1980 ドイツ車いすスポーツ協会車いすバスケットボール部門最高責任者に就任
1980-1990 障害児スポーツ部門の最高責任者に就任
1984-1997 ISMWSF(国際ストークマンデビル車いすスポーツ連盟)理事に就任
1984-現在 ドイツ車いすスポーツ協会指導委員育成責任者に就任
1997-現在 ドイツ車いすスポーツ協会車いすラグビー部門理事に就任
2002-現在 車いすラグビー連盟リハビリ・育成最高責任者に就任

ドイツ体育大学でスポーツ科学を専攻。卒業後ケルン大学に職を得て、特別支援学校教員の養成に携わる。1982年に執筆した博士論文が現行の車いすバスケットボールのクラス分けの基礎となり、広く障害者スポーツ全般でその理念が活用される。
1980年より、二分脊椎症の児童を対象とした運動導入キャンプを実施。スポーツ未経験者が地域で自主的に活動できるクラブの立ち上げを行う。こういった取組みの結果として、現在ドイツには、車いすを使用する障がい児が週に1回スポーツを行うことができる自主クラブが100以上存在する。また、このような自主クラブを運営するために必要な指導員の養成プログラムを開発し、指導員の育成・研修(特に、初心者への導入指導ができる人材の育成)に尽力する。
大学を退職した後も、ブラジル、日本、トルコ、アフリカなどで広く講演を行っている。

日本国内での講演実績(ここ2年のもの)
国立障害者リハビリテーションセンター、WHOアジアセミナー、太陽の家、長居障害者スポーツセンター、西九州大学、びわこ成蹊スポーツ大学等


また,この講習会で講師兼通訳をいただくのは橋本大佑先生
講師・通訳ご経歴
橋本 大佑(一般社団法人ふうせん遊び協会 事務局長)
筑波大学で障害児教育を学び、障害者スポーツ先進国のドイツに遊学。ストローケンデル氏の下で、車いすスポーツ指導論を学び、ドイツ障害者スポーツ協会公認リハビリテーションスポーツ指導員資格を取得。2009年に日本に帰国した後、ふうせんバレーボール競技の普及を実施するとともに、本講師の日本への招聘事業を実施し、コーディネーター、専門通訳兼補助講師として各地で講演を行う。2013年4月、国立障害者リハビリテーションセンター非常勤職を退職し、ふうせん遊び協会を設立。障害児・者の余暇活動プログラムを活用した社会参加促進に取り組む(http://www.youtube.com/watch?v=OummZIljsH4)。

                               以上、引用おわり



県障がい者スポーツ協会が公益法人に移行するにあたり、事業計画を作成しているなかに当然2020年の東京オリパラ関連が出てくる。



もちろん、2020年東京オリパラが来ることは大歓迎だし、日本の障害者スポーツが第2ステージへと一歩進むのは間違いなくとても嬉しい。


しかし、2020年だけに目や心を奪われてしまうと、「障害者スポーツの本質」を見失ってしまわないようにしなければと気をつけている。



私はパラリンピアンで、競技性重視のスポーツ振興者と思われがちだが、地方スポーツ、なにより重度障害者スポーツを重視している。



重度障害のある当事者が、自分の住むところで、スポーツに取り組む環境が整うことができて、初めて障害者スポーツ振興が進んだ。と言えると思っている。



子ども、若くして、中高年で、障害を負ったとき、その事が発生した時から世界が囲われてしまう。



できないことばかり見えてしまう。



我慢ばかりしてしまう。



結果、諦めることに慣れてしまう。



そうではなく、障害があってもなくても、選択肢も幅が広い世の中であってほしいと思っている。



障害者がスポーツをする。そんなのあたりまえじゃん




と言える世の中を作らなきゃ




そのために私はここにいるんだよね!



そして、今回の講習会で、「原点回帰」モチベーションが上がってまいりました。



BANANAさん、このような機会をいただき有難うございました。



ちなみに茨城シッティングスポーツ研究会のブログ
http://ibarakisportsforeveryone.blogspot.jp/

とてもいいことなさっています。


4月からは福島でもシッティングスポーツに限定はしませんが、実施方向で企画中です!


大堀相馬焼 京月釜
本日は残りわずかなお休みを満喫
まずはドッグランに行きバディとマーレを放ち、一通り遊び



その後、抹茶腕を買いに二本松の応急仮設住宅にある大堀相馬焼へhttp://www.somayaki.or.jp/

行く途中、舎弟を捕獲( ̄^ ̄)ゞ

なぜに抹茶腕??と不思議がる舎弟を他所にいざ出発!


ところが!仮設住宅にある大堀相馬焼の店舗はなんと日曜日までお休み。。。

しかし!福島県民たる者ここで諦めるわけにはいかん!

ということで、ちょっと遠いが飯坂まで足を伸ばし、女性陶芸家の京月窯に
http://yumesoso.jp/yutadosa/archives/


なぜ大堀相馬焼か?
だって今年は午年、午年と言えば福島県なら三春駒もしくは相馬野馬追
相馬焼の復興支援も兼ねられるのら最高だなと!

それに相馬野馬追と三春駒は深い縁があるのです。

野馬追の馬のルーツはなんと三春馬(駒)
興味のある方は調べてみてね!

そして、相馬焼の青ひび縞は芸術品
うわすぐりの流線美はさすが300年の歴史ここにあり


美の壺に取り上げられてもおかしくないレベル

行く途中、珍しい自然現象の日暈なるものを目撃!




はじめは山の合間から縦に登る虹の柱をみつけたのだが、どうもそれは端っこらしく、太陽いれて撮ったらデッカい輪っかになっていたという\(^o^)/

なんだかよくわかんないけど、すごい気がして大騒ぎ


ま、こんな珍道中ではありましたが、迷いながらもなんとか窯元に到着

古民家の佇まいに洒落たレイアウト

いつまでも被災者でいられない。と3000万の借り入れを決意し、大堀相馬焼の伝統を守る決意をしたという話を聞き圧倒されました。

写真は釜主の近藤京子さんと


京子さんは、ただ販売するのではなく、こうしてお客さんとコミュニケーションをとりながら販売する、地元にいたときからの方法で営業されています。


美味しいお茶とコーヒーをご馳走になりました。


ギラギラしてない素朴なハートのコーヒーカップ可愛らしいですね(^ ^)


本日は、、なんと震災以降初の正月三が日限定、抹茶腕の半額以上のご奉仕日の最終日


なんという巡り合わせ、宝クジは一等ははずれても、3000円が当たり、なんてついている2014年


ここでも強運を発揮!?

もし宝クジが当たっていたら間違いなく3000万はここのポストへいれておくのに、、あとパンダハウスに


おかげさまでいつもならひとつのお値段で、贅沢にも三脚も購入することができました。



茶碗は、左から青縞、青ひび縞、この二つは特別仕様、右端のひび縞は普段使いにします。

美しいでしょう。。手触りがまたいいんです。

持った感じもズシリと良い感じ


良い買い物をしホクホクご満悦


帰りは、半ば無理矢理捕獲した舎弟宅にて、美味しい夕飯までご馳走になりまして




心もお腹も満たされ幸せを感じ余韻に浸っておるところです。

さっそく明日は茶を点てましょう。


え?何流かって?


三春中学校茶道クラブ流です笑


みなさんもぜひ京子さんを訪ねてください
平成26年元旦
新年明けましておめでとうございます。

旧年中は当ブログをご覧いただきまして有難く存じます。

本年も些細な日常生活について更新してまいります所存でございます。
旧年に引き続きまして、みなさまの御指導、御鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いします。


新年を迎えました本日、元朝座禅会に行ってまいりました。
3時半起き、5時開始のハードスケジュールでした。

氷点下4度、寒くて顔が痛い!という冷え込みの中、身体を縮めて出かけました。

自分を追い込むことが好きなスポーツ選手には持ってこい?!のシチュエーション

朝という表現も微妙なほど真っ暗で、星が綺麗な朝でした。

いつもは近所のお寺さんに座禅に行くのですが、今回初めて地元三春町の福聚寺に行って参りました。

このお寺は、三春藩主の秋田公の菩提寺で、金箔さえ塗られなければ国宝級であったであろう仏像がある由緒あるお寺

芥川賞作家の玄侑宗久さんがいらっしゃるお寺でも有名です。



凛とした空気を通り越した極寒のなか、靴下を脱ぎ、上着を脱ぎ、座禅の準備を始めます。


始めは暖あり、後半は暖なしの戸口全開


入り込む冷たい空気に身が清まる感覚を覚えました。



静寂の中、自分を見つめ、心を整えることができました。


始めの暖があるうちは、やれ左側から風が入って寒いだの、背筋を伸ばして背中や腰が痛いとか、いろんな雑念が頭を過ぎり、煩悩だらけで刻々と時間が過ぎてしまいましたが


後半の寒ーい中での座禅になると、冷たい空気と一緒に一気に静寂が押し寄せ集中でき最高に良かった。

木々と同じ、外の空気に触れ、自然と一体となった感じがしました。

まるで身体が宇宙空間に漂うようにフワっと意識が飛ぶ瞬間を体験しました。


まさか、雪山の如く寒くて寝てしまったわけではないと祈りたいが

それに近いフワっと感でした。

座禅会のあとは、玄侑宗久さんを囲んでのお話しと、漢方?(養命酒のような味)のお屠蘇、縁起物の菓子をいただき、茶を立てていただきました。



京風の雑煮もご馳走になり、お札とカレンダーをいただきました。


そして、最後に記念撮影をしていただきました。



新年早々贅沢な時間でした。


座禅会のあとは近くのお稲荷様に元朝参りに行き、ここでも甘酒と赤米のお団子をいただき心もお腹も満たされて帰りました。


そのあとは元旦散歩に行き、ひとっ走りしてきました。



え?マーレが写ってないって?


それは寒くて膝の上にいるからです(^∇^)


2014年みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。



本年も猫ネコ、マーレ&バディ共々どうぞよろしくお願いいたします。
家出、脱走、放浪のモウさん
モウが脱走








です。


近くにいるんですが、野良ネコが縄張りを主張し、自分の家に近づけないという、、




写真整理してましたら、モウとジンジャーの野良ネコ時代の写真がでてきました。














キジトラはいなくなってしまったんだけどね。


きっと可愛いから誰かが飼ってるんだとおもう


このあと二ヶ月後くらいに、ガリガリだったのを不憫に思いまして我が家にきました。
姉弟犬
血がつながっていなくても




こんなに仲良しの姉弟



星野道夫さんの写真集にポーラベアーのこんな感じの写真があったね






うめえか?バディ



いくらなんでも食べるとはいえマーレを食うなよ^ ^
最初の一歩
さっき、ウェブ上で福島県の伝説の障害者アスリート「星さん」の記事を読んだ




65歳になったいまでも、車椅子テニスプレーヤーとして活躍しながら後人指導にあたっておられる






わたしは星さんとは一、二度ぐらい東京でお会いしただけで、あまり話しをしたことはないのだけれど、艶々とエネルギッシュな感じをうけた




障害者スポーツのパイオニア、星さんが福島県出身であることは、やっぱりうれしく誇りに思う
ぜひご一読ください^^星さんはじめ、福島県出身者には多くの素晴らしい方々がいらっしゃる



私が車椅子になる遥かに前から、障害があっても自然に生きられる社会をと講演活動やエッセイを通して訴えてこられた方


不便な世の中を要求ではなく、やさしい言葉で語り、お願いし、多くの人の心を掴み、この福島県の商業施設に多くのバリアフリー化をもたらし、しかもこの方のおかげで最近の車椅子トイレはしっかり男女別にある我が福島県





会津美里町の大石邦子さん




大石さんとベニマルの社長の対談がきっかけで、県内のベニマルの新しい店舗には、男女別の車椅子トイレが出来始めた、それが全国に広がっていった(と、わたしは思っている!)




記念すべき男女別車椅子(いまどきは多目的)トイレ設置1号店は、会津若松市の門田のベニマル




福島県には素晴らしい人がたくさんいるなーと、ちょいちょい思える瞬間がある




そんな記事を読んでいるなか、もう一人、ある意味すごい男が現れた




その男とは、福島県職員障害者採用枠第一号のTさんw




わたしと話の合う変人だ




しかも滅多に来ないので、まさに珍客^^



大雪でも降んじゃねえべか?




彼は福島県職員として採用された「車椅子第一号」である。第二号も同時に入庁しているが、年功序列で彼が先としよう




その数年前、わたしはここ福島県庁内にある団体の職員として採用されたわけだが




そのときに言われたことがある



「増子さんは、県はじめての車椅子の職員です。不便なところは多々あると思いますが遠慮なく言ってください。この採用で将来、県職員も車椅子で働ける人が出てくるかもしれないので頑張ってください」と



すんごいプレッシャーだったな当時は



忙しい仕事の合間によく呼ばれては、庁内あちらこちら、出先のあちらこちらの施設を見て回り、庁舎内の不便な場所を改善していった




そして、数年後のある日、上司に話しかけられ「めぐみちゃん、車椅子でも自分で通勤し、8時間労働に耐え、勤務できることが実証できました。今度、県職員でも来年度より車椅子(障害者)の職員採用試験を行われることになりそうだよ。」と




その1年後に入ったのがTさん、見事第一号として合格、その勤務ぶりは何十年いる職員と違わぬ手腕と風貌?!





しかもハートが強い(ずうずうしいとも言う)




やはり、この仕事頭がいいだけではできない。と言うのが実感



多少、型にはまらなくても、体力・気力勝負の部分もある笑



当時のスポーツ協会は財団法人になったばかりで激務極まりなく、またTさん保健福祉部高齢保健福祉課もまた介護保険の導入時期で超激務で夜中まで残業していたので、よく話をしていた



話のないようからして、まったくもって口が悪いとしか言いようのない 笑



Tさんは当時は車椅子マラソンをしており、定時に終わることは皆無のため、練習する時間がないので、二人で深夜0時にあづま運動公園を走りに行ったりしていた笑(真っ暗で一人じゃ走りたくないもんね)



そこで起きた事件は、、、レーサーのTさんを、バスケ車で走る私が抜き去るという事態・・・



Tさんの仕事で疲れた体に鞭を打ったうえ、プライドをズタズタに引き裂き、反骨精神を養ってあげたものだ



「夜中で誰もいなくてよかったね」と




ああ、なつかしい




懐かしいついでに、もうひとつ思い出した



当時の保健福祉部には車椅子で入れるトイレがなかった




わざわざ1階までエレベーターで降りていかなければならないうえ、エレベーターも3機しか止まらなかった




その当時の部長は今は亡きKさん 浜訛りで口はとっても悪いけれど、人間味あふれる理解ある方で、7階に身障トイレがなく1階までエレベーターで降りていくようすを見て、ないなら作れ!と鶴の一声でできたひろーいトイレ



3機のエレベーターも7階に停車するのは狭いほうのみ




その後、大きい5号機を7階に停まるようにしてくれて、おまけに音声案内や低い位置に操作盤まで、またもや亀の一声で作ってくれた



車椅子にとって便利な県庁に生まれかわったのはK部長のおかげだった




そして、昨年、視覚障害者ではじめて県職員が採用された




庁外に点字ブロックはできたもののまだまだだ




県庁周辺は音の出る信号機がないため、危なく轢かれそうになったりとまだまだここは危険な個所が多い




星さんの記事を読んで、最初の一歩は未知でどこにつながっているかわからないが、確実に後に道ができていて、そこを歩んでくる人がいる




でも、その道は便利にするだけではだめなんだな。と星さんの記事を読んでちょっと思った



車椅子バスケの道は大先輩たちが作ってくれた道を歩んできた



その道を福島県という土台に整備し、さらにつなげるためにここにいる



県庁に入る時、車椅子バスケットボールでメダルを取って、この福島県の障害者スポーツの礎を築き、障害者スポーツの推進に邁進してほしいと言われた




なので、勤務をしながら、それこそ合宿、海外遠征、車椅子バスケットボールに関わるすべてにおいて優遇していただいている環境をいただいた




ここに勤務して18年




文武両道を目指し、潰しのきかない選手にはならないと言い聞かせがんばってきた




車椅子バスケだけしててもメダルは取れないし、なにより人として強くなれない





その経過を経て、結果シドニーでメダルを獲ったのは事実として残った




県内のパラリンピックはじめ、スポーツをする選手たちも就職をし、そのなかでスポーツをすることへの理解をいただき、競技を続けて仕事もがんばり、競技でも結果をだしている




両立は辛いときもあるが、それは忍耐力を養い、知識と社会性を身に付けることは競技にもつながっていく



いま、若い選手がこうした中、結果をだしているようすをみるのはひじょうにうれしい




わたしもきっと道を整備する役目の一部を果たしているだろうが、まだまだなと星さんの記事を読んで思った





でもって、私に限らず、誰しも最初の一歩があって、その地域においてはフロンティアなのだろうなとも思うのであった まる
おさぼり
タイより戻り、いろいろ片づけたりしてましたら、すっかりブログ更新をおさぼりしていました。



タイより帰国して、この方々がもう「ストーカーか!?」って言うくらいべったりでして、トイレもおちおち行けません。



なぜって?


私がトイレに行くとですね、ニャンコが来るわけですよ。ゴロゴロと

注:画像はトイレではありません


その気配を察知し、部屋のドアの前で、後足二本で立ち上がり、渾身の一撃



「ドドーン、ドドーン」と家じゅうに砲弾のような音が鳴り響く



ドアが壊れるわ!



しめしめ、寝てる


と思って動きだすと・・・




クワッと目を開けるバディさん




マーレも見て見ぬふり~の横目でチラリズム



こんな平凡な日常があるからこそ、この歳になってもバスケができるんですな



月命日
今日、勤務時間が終了し、エレベーターを降りたら県警の捜索隊と遭遇



「あ、そうか今日は11日だ」と気づいた



被災地三県では、毎月11日に沿岸部の一斉捜索を続けている



今日は冷え込んだ



里にも雪が降った



まだ見つからない大事な人たち



待ち望んでも願いは届かない



還らぬ人とのつながりを求め、海辺の砂浜に手をつき声を、姿を、思い浮かべる



どんな小さな骨片でもいい、あきらめずに毎月どんな天候のなかでも捜索をする




携帯
携帯を変えたら、ブログのアプリがダウンしてしまいアップロードが出来なくなりました。。。




久しぶりの更新です。



今週末より「世界車椅子バスケットボールアジア・オセアニア予選」のために



初めての東南アジア「タイ」へ行ってまいります。



ご飯はだいじょうぶだと思う!自信を持って



あとは暑さの問題ですね!



いまできること一生懸命やろう!
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プロフ
HN:
Mash
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道などなど文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年の担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り競技の道へ。
1992年車いすバスケットボールを始めました。翌年合宿に招集され94年世界選手権デビュー。96年Atlantaパラリンピックで世界のレベルを知る。
1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督、レッドブルエアレース年間総合チャンピオン室屋義秀選手など著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010年ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011年ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015年リオパラAOZ予選(3位)
2015年現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
(一社)日本車いすバスケットボール連盟役員
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)
一番好きな曲:What A wonderful world.
家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's),ゴンボ、クロ、シロクロ

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アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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