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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
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ミチオの思い出 (アラスカ TJさんの日記紹介)
アラスカでホームステイさせていただいたTJさん。TJさんはブログで小説並みの日記をUPしている。
この日記が並みの小説より面白く心に入ってくる。

その日記のなかでも、ちょっぴり切ない「ミチオの思い出」が私のお気に入り

残念ながら、私が行ったときはミチオはすでにいなく、ミチオの後犬に立派な黒いラブラドールレトリバーのリロがいた。

滞在期間中、触りたくてうずうずしていたが、これがなかなかいい番犬でしてなかなか近寄れない
しかし最後の日、とうとうリロを手なずけるチャンスがやってきた☆
日ごろ忙しいTJさんとアヌーカさんご夫妻。お礼と言ってもなにもできないので、リロの散歩を買って出てみた。
快く承諾をいただき、さっそくお散歩へ

久しぶりの散歩だったのか、おおはしゃぎのリロ。。。でもその後、彼女には悲劇が・・・そう。はしゃぎすぎた彼は私の前車輪に轢かれ「キャンキャン・・・・」しかし、このリロかなりのお利口さん、学習能力が高かった。以後、車椅子より前に出なくなったしかも微妙な距離を保ち、警戒しながらのお散歩となりました☆

これがその時のようす↓
riroIMG_1518.jpg







ゴール後、グルーミング待ち ちょうど毛の抜ける時期でした
rirorroMG_1530.jpg






前から見るとりりしい女の子

後ろはリラックスモード??ww
riroushiroIMG_1531.jpg







うちも犬を3匹飼っていましたが、いまはもう寿命がきて一匹もいなくなってしまいました。また一緒に暮らしたいな。
室内犬を飼いたいけど、うちの14匹のギャングにやられるだろうなー

ではーご紹介です。

「ミチオの思い出」 TJ著

星野道夫さんが事故で亡くなった翌年の春、かねてから娘たちに懇願されていた犬を飼うことになった。アニマル・コントロールという、日本でいえば保健所のような、飼い手のいない犬を世話してくれる市の施設に行って貰い受けてきた。

わずかに脚の先と尻尾の先、そして顎の下に白い毛があるだけの、産まれて間もない真っ黒いハスキー犬だった。

「ウワァー、目が星野さんみたい!」

娘たちは、子犬の目が星野道夫さんとそっくりだといった。茶色の大きな瞳をしていた。名前はすぐに決まった。「ミチオ」と名付けた。

ミチオは半年もすると、娘たちの手に負えなくなった。あっという間に大きくなり、散歩に出るとものすごいスピードで走り出してしまう。リー シュ(引き綱)を引く力は強大で、娘たちは引きずられて次々と怪我をした。家内も太刀打ちできなかった。結局、当初の予想通り、ぼくが全面的にミチオの世 話をすることになった。

ぼくはミチオにスキージャーを教えた。スキージャーというのは、スキーを履いた人間と犬が、一本の紐で結ばれて長い距離を走るスポーツだ。一度教えると、ミチオは難なくこなすようになった。ハスキーの血が騒ぐのか、走ることは大好きだった。

しかし、ミチオは大変な欠陥をもっていた。飼い主の言うことを聞かないのだ。その上、強い狩猟本能を備えていた。走っているときに視界に動くも のが入ると、もう大変だった。ウサギであろうがキツネであろうが、そして小鳥でさえも、少しでも動くものを見つけると、急角度をつけて突進してしまう。一 本の紐で結ばれた後ろの相棒が転倒し、悲鳴をあげながら不自然な格好で引きずられていても、アイ・ドン・ケア!なのだ。

ミチオは獲物の大きさにはこだわらなかった。体重が五百キロ以上もあるムース(大ヘラジカ)にも飛びかかって行った。だからスキージャーをしているときは、ミチオが獲物を見つける前にこちらが先に獣を見つけ、進行方向を変えるなどの先手を打たないと、命に関わった。

子供の頃から冬でも外で飼っていたので、ミチオはムースの何たるかを熟知していたに違いない。鎖でつながれて身動きが取れないときだと、ムース が裏庭に現れても、木立の後ろにちゃんと隠れて身を低くする知恵があった。ムースは、そんな犬には見向きもしない。危害を加えないことを知っているから だ。ミチオはその辺のところをきちんと学習していた。

しかし、ミチオが鎖から解き放たれ、自由なときは事情が違った。ムースが現れると、ミチオはまるで黒い弾丸よろしく、ムースに向ってすっ飛んで 行った。普通、犬は巨大なムースを怖がるものだし、ムースのほうも犬が吼えたら鼻で笑って蹴散らすくらい強い。しかし、ミチオは他の犬とは違っていた。 ムースを追い駆けるのだ。それも、まるで狩をするように。ムースのほうもミチオが怖いらしく、湿地帯を、森の中を、ものすごいスピードで逃げて行く。それ をミチオが黒い弾丸となって追いかける。傍で見ていて頼もしいような、怖いような、理解し難い犬なのだ。

ミチオの評価は、我が家では真っ二つに割れていた。「かわいい」、「やさしい」という評価は全員がもっていたが、頭の良し悪しでは、ぼくを除いて圧倒的に「バカ!」のほうに軍配が上がった。ちっとも言うことを聞かないのが、最大の理由だった。

ミチオはよく鎖を切って逃走した。そんな時、ミチオの名前を呼んで引き止めようとしても、見向きもしないで風のように走り去った。半日も経てば 帰って来るのだが、帰ってくるときはいつも手土産つきだった。どこからかウサギの死骸や鳥の死骸を見つけてきて、家族が見ている前でバリバリと頬張るの だ。別に毎日の餌を与えてないわけではないのに、ミチオはとにかく食べものがあれば際限なく食べ続けた。一度なんか、成獣のカリブーの亡き骸を引きずって 帰ってきたときがあった。近所の誰かが狩猟で撃ち取ってきたものだろうが、顔中を血と油だらけにして満足そうにしているミチオを見ていると、もうどうにで もなれという気持ちになった。

ムースのことは別にして、ミチオは気の小さい、やさしい犬だと思っていた。ところが、ミチオは気が小さいどころか、ものすごく喧嘩が強いことがわかった。

あるとき山裾を散歩していたら、どこからか山犬が五匹ほど現れ、取り囲まれたことがあった。五匹もの犬に牙を剥いて唸られたら気持ちいいもので はない。警戒しながらもミチオを引き寄せ、曳き綱を解いてやった。自由にすればミチオはどこかに逃げていくだろうし、やられても被害は少ないだろうという 配慮だった。ぼく自身も噛まれることを覚悟していたのだが、すぐに走り去るはずのミチオは、何とぼくから離れなかった。離れないだけではなく、ぼくを守る ように五匹の山犬と対峙した。お互いが、低く唸っている。

山犬の一匹がミチオに飛びかかった。それを合図に、残りの犬たちも一斉にミチオに噛み付いてきた。獣特有の、あの攻撃的なうなり声と牙の音が重 なり合って、山道に響き渡った。ぼくは一歩二歩後づさるのが精一杯で、ミチオを援護してやることもできない。これはひどいことになる、もしかしたら殺され るかもしれない、と思った瞬間、ミチオが空を飛んだ。正確には、空中にジャンプしたのだが、空中から最初の一匹の首筋に噛みついた。続く犬も、またその次 も、ミチオは次から次にピョンピョンと飛び上がっては、空中から攻撃した。

山犬たちはミチオに噛み付く間もなく、宙から攻撃してくるミチオに翻弄された。首筋を噛まれ振り回された山犬たちは次々に悲鳴をあげ、尻尾を巻 いて逃げて行った。ミチオは最後までぼくの傍を離れず、逃げていく犬たちを追いかけようともしなかった。闘いが終わり、興奮をなだめようと、ぼくは恐る恐 るミチオの頭を撫でた。するとミチオの顔は、いつもの間抜け顔に戻っていた。しかし、このときからぼくは、ミチオを尊敬するようになった。

だが、やっぱりミチオはバカだと思ったこともあった。ミチオとはよく山に登ったが、あるときばったりとポーキュパインに遭遇した。ポーキュパイ ンは、日本でいえばヤマアラシのような動物で、全身が針で覆われている。大型犬ほどの大きさだが、動作が鈍く、すぐに後ろを向いてノソノソ逃げ出すので、 捕食者にとっては格好の餌食のように見える。

ところが、ノソノソ逃げ出すこの素振りがポーキュパインの戦法で、後ろから不用意に噛み付くと、何十本という針が顔中に突き刺さってくる。このとき、ミチオも針の洗礼を受けた。

ポーキュパインを見つけたのは、ぼくとミチオと同時だった。ポーキュパインもすぐにぼくたちの存在に気づいたようだった。ミチオははじめて見る動物に、最初戸惑いを見せていたが、ポーキュパインが背中を見せて逃げ出すと、途端に追い駆けはじめた。

「ミチオ!だめだ!あいつだけは止めてくれ。今度だけはオレのいうことを聞いてくれ!」

ミチオは、いつも通り、耳を貸さなかった。最初はトロットで、次第に早足になり、最後は全速力でポーキュパインに挑みかかっていった。

「ああ……」

数秒も経たないうちに、ミチオは引き返してきた。顔中が針だらけだった。自分で針を取ろうとして、前足でしきりに顔をこするが、針には抜けないようにかかりがついている。ついにミチオの顔は血だらけになった。

家に連れ帰ったミチオは悲惨だった。口をこじ開けると、口内は針だらけだった。一本の針は舌を貫いていた。舌の根元にも数本の針が刺さってい る。ペンチを使って抜き易いところから抜いていったが、十本も抜くと、あとは痛がって抜かせてくれない。結局、病院に直行。麻酔を打って昏睡状態になった ところで、医者もペンチで針を引っこ抜いた。計二十六本の針が刺さっていた。

「ねえ、先生。こういう痛い目に合えば、もうポーキュパインには向かって行きませんよね」
「残念ながら、そんなことはないんだよ。さっきも、今年三回目という犬の針を抜いたばかりだ。犬にはいつもリーシュ(引き綱)をつけておくこと。それしか防ぎようはないね」

ミチオのバカさかげんには振り回されることが多かったが、山でクマに会ったときは生きた心地がしなかった。絶対に言うことを聞かないことはわかっていたので、あのときばかりはクマに食い殺されるのを覚悟した。

海岸沿いの山道を歩いていたときのことだ。いつもの見晴らしのいい高台で休もうと、ミチオを放したまま岩場に登った。その高台には二人の先客がいた。

「クロクマがいるわ。二頭よ。いま、この岩場の下で野イチゴを食べているのよ。音を出さないで」

ジョガーの身なりをした一人が指差す、岩場からほんの数十メートル先にクマはいた。二頭ともりっぱな体格をした成獣だった。ミチオは大型犬だ が、ゆうにその倍はありそうだ。二頭は少し距離を置いて熱心に野イチゴを漁っている。いっしょにいるところを見ると、母グマから離れたばかりの三歳児だろ う。怖いもの知らずの年齢だ。早くミチオにリーシュをつけなければ、と振り返ったが、そこにはミチオの姿はなかった。いつもなら、ぼくをすり抜けるように して岩場に立つのが好きなミチオだ。いや~な予感がした。

「誰の犬だ!クマの方へ走っていったぞ!」

もう一人のジョガーが小さく叫んだ。

「わたしの犬です……」
「早く呼べよ!殺されちゃうぞ!」

呼んでも来ないのだ。呼んですぐ来るようなら、いままで苦労はしてこなかった。だめなんだよ、あいつは来ないんだ――胸の中で呟きながら、ミチオの動きを追った。

岩場からだと、全体がよく見通せた。ミチオはいつもの黒い弾丸になってクマの方へ走っている。まがりなりにも犬だから、鼻はいい。何か獣の異臭を嗅ぎ取ったのだろう。

「何してるんだ!本当に殺されちゃうぞ!」
「オ~、ノ~!」

小さな声でキチガイのように騒ぎ立てる二人を横目に、何かいい手はないものかと考えた。ミチオはクマとクマの間に入って、匂いを嗅ぎながらキョ ロキョロしている。異臭の元を探しているのだ。さいわい、周りのブッシュが遮蔽物になって、お互いが見えない位置にいるのと、クマたちは野イチゴを食べる のに忙しく、まだミチオの存在に気づいてない。

よし!あの手しかない――ぼくはポケットに忍ばせていた犬用のクッキーを頭上にかざし、岩場を駆け下りた。

「ミチオ~!クッキィ~!」

クマにも聞こえるほどの大声で、クマたちと反対側の斜面を駆け下りた。ミチオは食べ物に弱い。それに、走ると必ず追い駆けてくる習性がある。そ れに賭けた。クマも走ると必ず追い駆けてくるが、この際そんなことは言っておられない。ミチオが来るか、クマが追いかけて来るか。

「ミチオ~!クッキィ~!」

駆け下りながら、何度もミチオを呼んだ。岩場の上の二人は、突然のぼくの理解しがたい行動に目を丸くして、半狂乱のように”Fワード”を投げかけてきた。しかし、そんなことは知ったこっちゃない。こっちにとっては、一か八かの大勝負なのだ。

そして、ぼくは賭けに勝った。ミチオがクッキーに釣られてやって来たのだ。クマも追いかけて来るのではないかと気が気ではなかったが、彼らは姿 を現さなかった。きっと野イチゴのほうにもっと興味があったのだろう。ぼくはミチオにリーシュをつけると、岩場の二人を無視して、急いでその場を立ち去っ た。命拾いとは、このようなことを言うのだろうなと思いながら、ミチオの頭を撫でてやった。

そのミチオが死んだ。

この春、いつものように家を脱出したまま、帰ってこなかった。三日目にアニマル・コントロールへ電話を入れてみた。ミチオの風貌を説明すると、 そんな犬が今朝収容されたという。すぐにもらい受けに行ったが、それから数日ほどして死んでしまった。原因はわからなかった。急に弱ってきて、食事もしな くなった。悪食なので、もしかしたらどこかで変な食べ物を食べたのかもしれない。

白樺の木の下にある小屋の外で、ミチオは力のない声でぼくを呼んだ。甘えるような、悲しいような、いままでに聞いたことのない声を絞り出した。 裏庭に出ると、ミチオはうずくまったまま、ぼくを見上げた。腰を下ろして身体をさすってやると、ミチオはゆっくりと目を閉じた。そして、大きな溜息をつい たかと思うと、そのまま息を引き取った。

ミチオは九歳だった。人間の年に換算すると、ちょうどぼくと同じくらいの歳になる。まだ死ぬ歳ではない。もう少し生きられたのに、と思うと悲しくなってきた。

ミチオはやさしくて、明るくて、かわいくて、反面、芯が強く、度胸があり、こうと決めたら譲らない一途さがあった。家に落ち着くことは少なく、 たえず外に飛び出して行った。外に飛び出すとなかなか帰ってこなかったけれど、帰ってきたときには本当に楽しそうに、いま終えた旅の話をしてくれているか のように、ワンワンと明るく吼えた。

そんなミチオのいない冬を迎える。サンタクロースが、ミチオを連れて帰って来てくれないかな――。
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プロフ
HN:
Meg3
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り、いまだ現役で選手やっております(*^^)v

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学。
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(現長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010 ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011 ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015 リオパラAOZ予選(3位)
2015 現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール

趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

研究:

著書:

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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