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「真我開眼、修せざるは衣裏の宝珠」誰もが自分の中に宝を持っている。師は私に「柳は緑 花は紅」という言葉を贈ってくださいました。この言葉を胸に人生精進します。
脊髄損傷20周年記念
今年の6月12日で脊髄損傷になって20年を迎えた。

私は平成元年9月30日に交通事故に遭った。背骨を脱臼骨折する重傷だった。

しかし、よほど神経が図太かったのか、奇跡だったのか脊髄神経は切れずに右足の足首に麻痺が残った程度で7カ月後に松葉づえになって退院できた。

平成2年6月12日 退院50日目。その日は晴れていた。兄の仕事が休みだったので、家族総出でリハビリを兼ねた山菜取りに沼尻に出掛けていた。

兄夫婦と3歳になった甥っ子、母、私で楽しい一日を過ごしていた。

帰りに用事を思い出し立ち寄ったところで車を降りた。

3歳の甥っ子が走って先に店に向かった。

私はそのあとに車を降り足元を確かめるように一歩一歩進んでいた。

私の後ろからは母がいたはず。

何歩か歩いていたとき、視界の隅に車が見えた。

顔を向けて見た瞬間、車は目の前に迫っていた。何もできなかった。

母の叫び声が聞こえた。覚えているのはそれだけ。

衝撃とともにそこからの記憶がなくなった。目が覚めたとき、見なれた看護婦の顔と母の泣いた顔があった。そしてまた暗闇になった。

次に目覚めたときは、いままでの自分ではなかった。

残ったのは、表現し難い足のしびれと手術の傷跡

あの日、あのときから今年20年の節目を迎えた。

いま人生の半分を車椅子での生活になろうとしている。

思い起こせば、、、自分が車椅子になってここまでこれたのは母が私に車椅子バスケを勧めたからだ。

はじめは過保護すぎるほどだった。どこにでもついてきた。ある日ジャパンの練習で埼玉の国リハに行った。そこで北村先生の一言で母は変わった。

「お母さん、親はいつまでも生きていないのよ。一人でできるようにならないと、お母さんが死んだら、この子も死ぬの?」と。

それをきっかけに母は「親はいつまでも生きていねんだ。一人でなんでもできるようになんねっかなんね」と言ってスパルタになった。

車椅子バスケの練習が辛すぎて、故障が続いてやめようと思ったときも布団を引っぺがして着替えさせた母。喧嘩もしたけど、いつも一緒にいた母。


だから車椅子バスケを続けることが最大の親孝行だと感じている。

そして苦しんでいたときに支えてくれた車椅子の友達から教わった知識を生きることを教えてもらったことを、いま悩んでいる人にお返ししたいと思う。

腹をくくったのか、割り切れたのか20年目にして、止まっていた時計が動きだしたような気がする
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HN:
Meg3
性別:
女性
職業:
カリスマオフィサー
趣味:
photo(Canon EOS user)
自己紹介:
出身・在住 福島県
幼少はオルガン・書道・バレエと文化系で体も弱く運動が苦手でした。小学3年で担任の先生にテニス・卓球などいろ②教えてもらいスポーツ少女へ。小4でバスケに出会い高校までバスケをしていました。
平成2年6月車に飛ばされ車椅子になりましたが、車椅子になってもバスケットボールができることを知り競技の道へ。

1999年三上監督率いる女子車椅子バスケットボールチームは福島大学人類文化白石先生のメンタルトレーニング指導を受け、2000年シドニーパラリンピックでは目標どおりの銅メダルを獲得しました。
※白石豊先生は、福島大学教授。メンタルトレーニングの第一人者。ゾーン、ゴールデンエイジなどの言葉を生んだ方です。門下生には、日本人女性初のWNBAプレイヤー萩原美樹子氏、バンクバーオリンピックスピードスケートパシュート銀メダリスト田畑真紀選手、元日本ハムファイターズコーチ白井一幸氏、FIBAワールドカップ南アフリカ大会日本代表岡田武史監督など、著名な方々を多数みてらっしゃいます。

経歴:
1992年3月車椅子バスケットボールを見学、以後半年以上ただ見学
1992年9月福島県身体障害者スポーツ協会主催の車椅バスケットボール教室にて三村一郎先生(長野県障害者スポーツ協会理事長)と出会い選手の道へ
1993年1月JWBF選手登録
1994年ゴールドカップストークマンデビル大会代表デビュー(7位)
1996年アトランタパラリンピック出場(5位)
1998年ゴールドカップシドニー(4位)
2000年シドニーパラリンピック(銅メダル)
2002年ゴールドカップ北九州(4位)
2004年アテネパラリンピック(5位)
2005年腰椎の疲労骨折により代表引退
2008年北京パラリンピック(4位)代表復帰
2010年ゴールドカップ バーミンガム代表(7位)
2011年ロンドンパラリンピックAOZ予選(3位)
2015年リオパラAOZ予選(3位)
2015年現役引退
職業:団体職員
(公財)福島県障がい者スポーツ協会

役職:
(一社)日本パラリンピアンズ協会理事
福島県障がい者スポーツ指導者協議会事務局
福島県障がい者スポーツ支援ネットワーク理事
ふくしまchallenged sports club代表
特技:車椅子バスケットボール
趣味:美味しいものを食べ歩き、カメラ(Canon 7D user)

一番好きな曲:What A wonderful world.

家族:チャアコ,マーレ,バディ(dog's)メソ,ゴマ,アテ,モコ,アイナ,ニャークロ,グランディス,アバレンボウ,ギントキ,ロング,アメニ,ジンジャー,モウ(cat's)カーコfamily&チュンチュコチュンfamily(bird's)

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松本紀生著書
アラスカで出会った写真家松本さん、マッキンリーでカマクラ掘ってオーロラを撮り続けています。
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